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ヨーロッパ放浪記8 フランス・リヨン編

帰ったホテルはパニック状態でした。
みんな、TVを食い入るようにして自分の心配をしてくれている・・・・

その中で一番、落ち着いていたのが自分だったのが不思議なくらい、みんな慌ててましたね。(第一、何が起きているのかさっぱり分からねぇ・・・・)

「日本のメトロが爆発した!!『ボム』だ、『ボム』!」

「戦争が始まった!!」

「いや、これはテロに違いない。日本もついにやられたぞ!」

「お前は日本に帰った方がいい!!急げ!」

「・・・お前の家族は大丈夫なのか?!」

などなど。なによりも「新聞を読め!ニュースを見ろ!」 と必死にアピール。いゃ、英語もフランス語もダメなんで見ても分かんないんですけどね・・・・・自分の低いヒヤリング能力で聞き取れた言葉を繋げるとこんな感じでした。

(・・・・一体、・・・・何があったんだ??)

日本に帰って分かったのですが、これが悪名高い 『地下鉄サリン事件』 だったのです。

TVに一瞬、映し出される地下鉄の映像と警官やレスキューの姿。

倒れた人・・・担ぎだされるシーン・・・・・・

海外で見る映像はまさしく日本・・・・・・

周りではホテルの客が総出で食堂の一台のTVに釘付けになり・・・・・

時おり話掛けられる興奮した早口のフランス語ボーッと聞きながら・・・・

(家族は・・・無事だろうか・・・?!)

・・・とにかく、この言葉しか頭にありませんでした。

ヨーロッパの人は『テロ』にとても敏感です。平和ボケした日本人とはまるで大違い。ましてや事件発生時は情報不足で何が確かで何が間違っているのかさえ分からない状態。

そして、自分の実家の町にも地下鉄が走っており、「・・・まさか・・・」 とは思いつつも家族の無事を確かめる手段がその時は見つかりませんでした。(『命がけ』で帰ったのはいいが・・家族が先に死んでたら・・マジでシャレにならんぞ・・・・・・)ペラペラと忙しそうに喋る、TVの中のフランスのキャスターを呆然と眺めながら、恐怖と失望感と焦りでいっぱいでした。

そんな自分を救ってくれたのは・・・やっぱり 『下町の天使』

隣に座ってくれて手を自分の膝の上に手を置き、

「テレフォン・・・!・・・テレフォン・・・・!」

と身振り手振りで一生懸命に教えてくれました。

本来ならこんな天にも昇りそうなシチュエーションですが自分の頭もパニクッテしまってて正直、それどころじゃありませんでしたよね~

(そうだ!!その手があったか!)

・・・しかし現実は英語も喋れず、国際電話の掛け方すら分からない!

「アイ・ウォント・ツー、テレフォン!!!ホーム、ホーム、マイハウス!!」

多少の取り乱しはあったものの、これも意味不明の英語を誰かまわず連呼する自分。意味を察してくれた数名の泊り客が各自の部屋に走って戻り、それぞれの母国のガイドブックを手に戻ってきてくれる。

テレカを購入して、約30分後・・・・

・・・・プルルルル、プルルルルルルルルル・・・・・ガチャッ。

(・・・・つ、繋がった!!)

「・・・・はい。。。××ですけど。。。。」

と、父親のこれ以上にない不機嫌な声。
※時差のため、時間は深夜だったと思います

「も、もしもし!○○やけど!!みんな元気しとうと?!?!」

「・・・・お~ぅ、○○かぁ。久しぶりだなぁ~・・・・・ちょっと待ってろ。・・・・お~い、お母さ~ん・・・」

(いや、そっちこそ待ってくれ!まずは家族の無事を・・・・・・・)

父親のノンビリした言葉にかなり安心はしましたが、まずは全員の無事を確かめないと・・・・・・

・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プーッ、プーッ、プーッ、プーッ・・・。

「ちょ、ちょっと!!もしもし!もしもし?!」

(何やってんだよ、ばかやろーー!!!)

父が母を起こしに行く間にテレカが切れてしまったのです・・・・

次のテレカを買いに行く途中でフト、冷静に考えました。「このままでは同じ事の繰り返しだ・・・」と。あのノンキな父親の声に自分は賭けて(・・・家族は・・・無事なんだ。・・・よね?)と納得させ、電話を諦めました。

ホテルの食堂に戻り、皆に家族が無事だった事(?)を伝える。

みんな、拍手と共に喜んでくれて一人一人と握手した時に、久々に聞いた家族(父親だけですが(笑))の声を聞いた安心感もあったのか・・・・・またしても 『涙』 が・・・・・そんな自分をホテルのみんなは笑い飛ばし、手を叩いて喜び慰めてくれた。本当に一人一人に心からの 『ありがとう』 が言えた日でした。

明日はついにリヨンを離れる日。

一人、部屋に戻りシャワーを浴びながら下着を石鹸で洗濯して干し、「家族は無事だったんだ」と心を切り替え、明日の出発のため荷造りを始めました。

天使とのロマンスどころか結局、いい事件(?)に圧倒された町でしたが今となってはいい思い出です。

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コメント:4

太陽 09-05-30 (土) 23:41

…95.地下鉄サリン事件、日本初のテロ事件でしたよね。
違った、初は94.松本サリン事件だから…あれから15年ですか…

日本の報道機関は大騒ぎでしたね、地下鉄サリンの報道は当時ソウルで聞きましたが日本より韓国の方が騒いでいた記憶があります。
管理人さんの様に言葉の壁が無かったので家族の安否確認はしませんでしたが…その頃は仕事の為に携帯電話って持ってたけど国内だけだったのかな??
今では通信も発達しまして外国を感じさせない時代ですよね~
5日間のロマンスの結果は残念でしたが管理人さんの「好きなもの」に対する素晴らしい表現力はよ―――っく伝わりました!!
なんだか私まで好きに…
(んなこたぁ無いかぁ!(笑)

管理人 09-05-31 (日) 14:44

太陽さん
当時自分は確かようやくPHSから携帯に切り替えてたような・・・
通信手段を知らない上に言葉も通じないなんて地獄でしたよ~
天使とのロマンスはあっと言う間に砕け散りましたとさ(笑)

とり 09-06-05 (金) 9:23

久々の休日、ゆっくり前の日記から読ませていただきました。

そしてサリン。

忘れもしません。地下鉄サリンの前、松本サリン事件のとき、
当時看護学生だった私は、松本に住んでたんです・・・。

私のアパートは被害の地区から少し離れていたので
事なきを得ましたが、友人が何人か、倒れて大学病院に
運ばれて行きました。

当時は何が何だか分からず。結局松本だけで、搬送800人、
死者8名という悲しい結果になったのです。

事の真相が明らかになったのは、地下鉄サリンの後なので、
一年後、本当にぞっとしました。

被害を受けた友人は、いまだに年に一回の検査に通っているそうです。

あの頃、大学の中に自然にオ〇ムの支部があり、
当然のようにサークル活動をしていました。

誰も不審に思う人はいませんでした。

・・・何とも言えない気持ちです。

管理人 09-06-21 (日) 22:38

とりさん
「あの頃、大学の中に自然にオ〇ムの支部があり、
当然のようにサークル活動をしていました。」
・・・・これを聞くと身の毛のよだつ思いです。不気味な恐怖を改めて感じました。
皆が皆、悪いわけではないんでしょうが何がどこで狂ったのでしょう・・・・。
インタビューを受けていた、入信わずかな方々が
「自分達は上層部のことなど知らなかった・・・・・・・・」
と言ってたのは印象的でした。言ってる意味はよく解るんですが
自分はそれではいけない。と思いました。
自分が信じて入るものだから、自分が一番チェックしておかないと。
やはりそこには個人個人の責任が生じてくるんじゃないかと。
・・・・すみません、頂いたコメントからずれてしまいました。

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